~偲月庵 納骨堂 守り本尊 聖徳太子像~
みなさま、こんにちは!
大田区霊園百月院ブログでございます。
暖かな日差しに春の訪れを感じる季節となりました、
更新が空いてしまいましたが、
本日は 納骨堂の見守っていただいている聖徳太子さんについて
ご紹介させていただきます。
聖徳太子さんといえばお札の顔としての印象が強い方も多いと思います。
昭和の時代、1万円札や5千円札として私たちの生活に最も身近な方と言えるかと
思います。
旧1万円札(1958-1986)
用明天皇の第二皇子として生まれ、推古天皇の摂政として国政を担い、
憲法十七条や冠位十二階の制定、仏教興隆に尽力したとされます。
秀明寺の本尊であり、その由来は鎌倉時代に時の天皇である花園天皇は
16歳の聖徳太子像を刻ませて、縁がある地に届くようにと願い、
大阪湾に投じたところ、武蔵国羽田に漂着し、天皇の命を受けた侍臣の秀明公が彫像を見つけたことからと言われております。
百月院では、納骨堂の偲月庵を見守りいただく存在として納骨堂南側の献花スペースに
いらっしゃいます。
実はこちらにいる聖徳太子像は皆さんの良く知っている姿とは若干異なっております。
聖徳太子像は、単一の姿ではなく、太子の生涯における重要な場面や信仰の形に合わせて、主に4つの代表的な形式で造形・描画されてきました。
今回は聖徳太子さんの代表的な4つの肖像についてご紹介させていただきます。
南無仏太子立像|奈良国立博物館
1. 南無仏太子像 ※なむぶつたいしぞう(二歳像)
太子が2歳のとき、東を向いて合掌し「南無仏」と唱えたという伝説に基づいた姿です。
上半身は裸で、赤い袴を履いた幼児の姿で表されます。
太子の神童としての側面や、
仏教への深い帰依を象徴しています。
聖徳太子像|用名山 秀明寺
2. 孝養像 ※きょうようぞう (十六歳像)
16歳の太子が、父である用明天皇の病気平癒を祈る姿です。
特徴は角髪(みずら)を結い、手に「柄香炉(えごうろ)」という香炉を捧げ持っています。
親への深い愛と孝行の徳を説く象徴として、中世以降に広く信仰されました。
聖徳太子坐像(講讃像)|文化遺産オンライン
3. 講讃像 ※こうさんぞう( 三十五 歳像 )
35歳の太子が、推古天皇の御前で『勝鬘経(しょうまんぎょう)』などの仏典を講義した際の姿です。
豪華な衣装(冕冠など)を身にまとい、手には「笏(しゃく)」を持つ坐像として
描かれることが多いです。
仏教の深い理解者としての「居士(こじ)」の理想像を示しています。
聖徳太子二王子像(模本) 狩野<晴川院>養信筆 江戸時代・天保13年(1842年) 東京国立博物館蔵
4. 摂政像 ※せっしょうぞう(二王子像)
成人した太子が、推古天皇を補佐する摂政として政治に携わっていた姿です。
中央に太子、左右に弟(殖栗皇子)と息子(山背大兄王)を配置した
「聖徳太子二王子像(唐本御影)」が有名です。
理想的な統治者としての側面を象徴しています。
これら以外にも、太子の生涯を描いた「聖徳太子絵伝」や、法隆寺の聖霊院に安置されている秘仏の聖徳太子および侍者像(国宝)など、信仰の広がりに応じて多様な像が全国に残されています。
ご興味を持たれた方はよろしければ、百月院へのお参りの際に 偲月庵 納骨堂の南口にいる聖徳太子さんへお手を合わせていただければ幸いでございます。
本日も最後までご覧いただきありがとうございました。
百月院スタッフ一同皆様のご来苑を心よりお待ち申し上げております。








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